京都の「祇園祭」、大阪の「天神祭」とともに「日本三大祭」の一つとされ、江戸を代表する祭りといわれてきたのが「神田祭」。東京都千代田区の神田神社、通称「神田明神」の祭礼。本祭と陰祭が隔年で行われる。
2年に1度の本祭では「神幸祭」や氏子による「神輿渡御(みこしとぎょ)」などが行われ、その盛り上がりのなかに、江戸っ子、神田っ子の気風が表れるといわれている。そうした雰囲気をいつくしむ俳人たちが名句を多く残している。
「神田川祭の中を流れけり 久保田万太郎」
「ちちははも神田の生れ神輿舁(か)く 深見けん二」
「江戸っ子だってねえ」「神田の生まれよ!」、2代目広沢虎造の浪曲「石松代参」の名調子もよく知られている。
東京の中心ともいえる神田、日本橋、秋葉原、大手・丸の内、旧神田市場、築地魚市場などの108の町会の総氏神。こういった地域のなかでは「明神さま」と呼ばれて親しまれている。
日程は、5月15日の例大祭が中心になっている。かつては秋祭りだったそうだが、台風など秋は天候が不順だということで、明治中期から5月に催行されるようになった。
祭事はまず夜の神事「鳳輦(ほうれん)・神輿遷座祭」でスタートをきり、続いて「神輿宮入」に向けての「氏子町会神輿御霊入れ」。そろいの半纏(はんてん)・浴衣姿の誇り高い氏子たちが各町会の「神酒所」に参集、108の町内に大小200基もの神輿が並ぶ。伝統の「神田囃子(ばやし)」が聞こえるなか、東京の真ん中が神田祭一色となる。そして翌日には「神幸祭」。鳳輦を中心とした華麗な行列が各町内を1日かけて巡行する。
さらにその翌日がクライマックスの「神輿宮入」。朝から夕方まで、各町内から約100基の神輿が次々と宮入していく。その後、献茶式、明神能(金剛流薪能)を経て、15日の例大祭の厳粛な神事となる。ただし、15日が日曜日の場合、その日を「宮入」とし、全体の日程をずらす。
江戸時代においては、神田明神は日枝神社とともに「江戸城鎮護」の神社であり、そのことでこの両社の祭礼の際の神輿は江戸城に入ることを許され、将軍の上覧があった。そうしたことから「神田祭」は「天下祭」とも呼ばれた。なお、「江戸三大祭」とは、この神田祭と日枝神社の山王祭、富岡八幡宮の深川祭をいう。