二十四節気の「立夏」が5月6日ごろ。唱歌「夏は来ぬ」で「卯の花の匂う垣根にホトトギス早も来鳴きて」(作詞・佐々木信綱)と歌われるように、「卯の花」「ほととぎす」など夏の到来を象徴する花や鳥の声を見聞きするようになると、気温がぐっと上昇してくる。そして、身体も汗ばみ、湿気で部屋のうっとうしさも増してくる。
そうしたとき、扇風機や冷房機器のない時代の日本人はどうしたか。気分で涼気や清々しさを演出したのである。そのために、日本人は古くから「香」を上手に活用してきた。
「一休さん」でおなじみの室町時代の名僧一休禅師は「香」の効用として「香十徳」をあげているが、その第一が「鬼神も感動する」であり、第二が「心身を清浄にする」である。つまり、日本人は「香」に人間の心身やその「場」を清め、きれいにする効果があると長く信じてきた。
気温、湿度も高い日本の夏においては、むっと熱がこもった部屋はいかにも邪気が満ちてきそうだし、汗ばんだ身体には疫病も取りつきやすそうだったからだろう。そういった気分を払うために、気持ちのよい香り、匂いを用いるというのは、実に文化程度の高い人間の営みだといえる。
日本の伝統的な香料は植物の草根木皮などの自然の恵みが多く、なかでも「沈香(じんこう)」などは希少香料で、これの高級品が「伽羅(きゃら)」である。麝香鹿(じゃこうじか)の分泌腺から取り出した「麝香」など動物性の貴重な原料を調合したものもある。
掛香は、白檀(びゃくだん)、丁子(ちょうじ)などを刻んだものや、龍脳樹(りゅうのうじゅ)の精油の結晶などの香料を絹の美しい袋に入れ、玄関や部屋の柱、鴨居などにかけるもの。清涼感のある芳香を楽しむ夏の設(しつら)いであり、実用としても、臭気除け、リラクゼーション効果、防虫効果が期待できる。また、古来の精神文化的見地からは疫病除け、邪気払いということになる。
いずれにしても「掛香」は、火や熱を用いて香りや匂いを出すのではなく、ほのかに漂ってくる、まさに「微香」に心を寄せる上品な世界。懐中や着物の袂(たもと)に入れる「匂袋(においぶくろ)」も同じ発想で、俳句では、この「掛香」や「匂袋」を夏の季語としている。「匂袋」のまたの名は「誰袖(たがそで)」。なんともゆかしい名前である。