毎年5月19日の午後、奈良・西の京の古刹(こさつ)「唐招提寺」において、年中行事「うちわまき」が行われる。
奈良時代における仏教の宗派を「南都六宗」という(南都は奈良のこと)。律、華厳(けごん)、法相(ほっそう)などの6つの宗派を指し、唐招提寺はこのうちの律宗(りっしゅう)の総本山。唐より来日した「鑑真(がんじん)」が、天平宝字3年(759)、戒律の道場として創建した。
鑑真は中国唐時代の8世紀前半、江南の名僧として知られていた。第9次遣唐船で唐に渡った学僧栄叡(ようえい)らは日本の朝廷からの要請としてこの名僧に来日を願った。鑑真はこの願いを聞き入れて渡海を決意。しかし、当時の航海は天候に左右されることも多く、8年の間に5回出航したものの、いずれも失敗。栄養失調や潮風のために盲目になるに至った。
そして天平宝勝5年(753)、12年間で6回目の渡航にしてようやく日本の地を踏んだ鑑真は、東大寺、唐招提寺で天皇を始め多くの人々に仏教の戒律を授け、大和上(だいわじょう)の号を贈られた。
俳聖松尾芭蕉は、貞享5年(1688)、奈良を旅したときに唐招提寺を訪れ、盲目の鑑真和上像(国宝)を拝して次の一句を詠(よ)んだ。
「若葉して御眼の雫ぬぐはばや」
盲いた和上の眼の下の雫を若葉でぬぐってさし上げたいものだ、との句意。雫は涙の意で、芭蕉による若葉のころのイメージである。
この名刹唐招提寺の中興の祖といわれるのが鎌倉時代の覚盛(かくじょう)上人。鑑真大和上が伝えた戒律に戻ることを旨として修行を続けた名僧である。そして、腕に止まった蚊を弟子が追い払おうとしたとき、「自分の血を与えるのも菩薩行である」と戒めたという。その覚盛が亡くなったとき、法華寺の尼僧がその徳をたたえ、「せめてうちわで蚊が寄り付かないようにしてさしあげたい」ということで、うちわを供えたという。それはハートの形をした独特のうちわである。
覚盛上人の命日である5月19日、上人の遺徳、功徳をしのび、そのハート形のうちわを供えて「中興忌梵網会(ちゅうこうきぼんもうえ)」の法要が行われる。そして法要の後、参詣の善男善女に鼓楼(舎利殿)から、餅とともに1500本のうちわがまかれる。このうちわには「病魔退散」「魔除(よ)け、厄除け」のご利益があるという。