「仙台三大まつり」といわれるものがある。5月の第3日曜日とその前日の日程で行われる「青葉まつり」、8月6日から8日の「七夕まつり」、12月12日から大みそかまでの「SENDAI光のページェント」をいう。
このなかで「青葉まつり」は城下町仙台の歴史のなかに位置づけられる祭りといえるだろう。あのさとう宗幸のヒット曲「青葉城恋唄」を待つまでもなく、青葉城は仙台城の別称。仙台は古くから仙台平野の西部に開けた東北地方最大の都市で、伊達藩62万石の城下町である。そして江戸時代においては、「仙台祭」と呼ばれる伊達藩最大の祭りがあった。多いときは70基もの山鉾(やまぼこ)が巡行した東照宮の祭りであったという。これは9月に行われる秋祭りだったのだが、それに代わって明治期には5月に行われる「青葉まつり」が盛んになった。
この「青葉まつり」は、仙台伊達藩の祖で「独眼竜」と呼ばれた戦国の雄・伊達政宗を祀(まつ)る「青葉神社」の例祭。そのなかで、政宗没後250年とか300年といった記念祭の折には市中に多くの山鉾が出る盛況となった。ただ、この祭りも昭和40年代の後半に、市内の交通事情などにより催行が困難となり途絶えてしまったのである。
そうして昭和60年(1985)、伊達政宗没後350年の記念の年を迎え、「青葉まつり」復活の機運が高まり、新たに「市民の祭り」として催行することとなった。以後20数年、すっかり市民の間に定着し、みちのくの名物となっている。
本まつりでは、青葉神社の神輿渡御(みこしとぎょ)や「政宗公山鉾」などの絢爛(けんらん)豪華な山鉾巡行に加え、戦国に名をはせた伊達軍団を髣髴(ほうふつ)とさせる「五葉山火縄銃鉄砲演武式」や「甲冑武者隊」行列が行われる。
そして、催し物としての呼び物は「仙台すずめ踊り」。この踊りのルーツは、慶長8年(1603)の青葉城新築移転の宴において、現在の大阪の堺から来ていた石工たちが即興で踊ったもの。上方の芸達者ぶりを伝える躍動感あふれる振り、小気味のよいテンポ。それが伊達家家紋の「竹に雀」を連想させるところから「すずめ踊り」とされたとのこと。400年の歴史を伝える伝統の踊りである。