よく知られた慣用句で「いずれ菖蒲(あやめ)か杜若(かきつばた)」という語句がある。あれかこれか決められず、という状態を指す。そして、さらにいえば、菖蒲も杜若も花なのだから、あちらもこちらも美しい、甲乙つけがたい姿かたちの美しさという意味でも使われる。
しかし、こういった意味を含んでも、決して「いずれ梅か桜か」とか「いずれ牡丹か芍薬(しゃくやく)か」とはいわない。なぜ、数ある美しい花のなかで、とりわけこの二つが取り上げられて比べられるのか。それは、菖蒲と杜若が同じ季節に花を咲かせ、その姿かたちが非常によく似ているからである。
ここで一つ注意をしておきたいのは「菖蒲」の表記と読み。「菖蒲」を「しょうぶ」と読めば、それは5月5日の端午の節句に「菖蒲湯」や「軒菖蒲」にする、あの剣のような葉を持った「菖蒲」である。「しょうぶ」が「尚武」につながることから、武家に喜ばれて男児の節句のシンボルとなり、魔よけとしても用いられた。
そして、ここが混乱の元かもしれないが、この「しょうぶ」の古称が「あやめ」。古典文学で「あやめ」といえば「しょうぶ」のこと。サトイモ科の植物で、こちらは美しい花は咲かない。
一方、「あやめ」と読む「菖蒲」はアヤメ科の多年草。山野に群生し、5~6月ごろに花茎の先端に紫や白の美しい花をつける。「花あやめ」ともいう。
さて、その「菖蒲」と比べられる「杜若」だが、菖蒲と同じくアヤメ科の多年草。ただし、こちらは尾形光琳が「燕子花(かきつばた)図屏風」に八橋に配して描いたように、陸地ではなく池沼など水中に生える。そして、菖蒲と同じく初夏から梅雨の時期に花茎の先端に紫や白の花を咲かせる。葉の形状も、菖蒲と同じく剣状。したがって、生えているところは陸と水中と明確に違うが、まさに姿かたちについては、菖蒲と杜若に大きな違いはない。
しかし、ここに同じアヤメ科の多年草「花菖蒲(はなしょうぶ)」を加えるとどうにもやっかいなことになる。なんとこれも湿地に生え、葉の形も先の二つによく似ている。紫、白の花は大きいが、その生え方、形は似ていて、ほぼ同じ時期に咲く。これでは「いずれ菖蒲か杜若」ではなく、花菖蒲も加えて三つどもえ。しかも、花菖蒲を俗に「菖蒲(しょうぶ)」というのだから、本当にややこしい。