毎年6月9日は、東京都台東区にある「鳥越神社」の例大祭の日である。そして、この9日に近い日曜日に、都内随一の重さとうたわれる「千貫神輿(せんがんみこし)」の渡御(とぎょ)、そして宮入りに至る「鳥越夜祭り」が行われる。
ちなみに「神輿」とは、ご神体、あるいは御霊代(みたましろ)が乗る輿(こし)のこと。「渡御」とは、神輿がお出かけになること。「お出まし」のこと。そして、神さまが神輿に乗って神社を出て(宮出し)、氏子の町内や御旅所を渡御することを「神幸(しんこう)」という。
2009年の例で紹介すれば、6月9日が火曜日なので、6月6日の土曜日に氏子の各町内の神輿渡御、明くる7日の日曜日に千貫神輿の渡御となる。
鳥越は、よく「浅草鳥越」と呼ばれるが、実は観音信仰の浅草寺を中心とした浅草に比べ、蔵前通の鳥越は、町柄が違うといわれる。その背景が鳥越神社の存在である。
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の東征の折、この地に駐在したことに由来する「白鳥明神」が奉祀されたのが白雉2年(651)のこと。そして、11世紀半ば、「前九年の役」で安倍一族と戦うために東北に向かう源頼義と「八幡太郎」義家父子が隅田川岸に到着。その渡河に苦心しているとき、一羽の白鳥が父子の眼前で浅瀬に降り立った。そして、それに導かれるように全軍が対岸に渡ることができ、義家は、これを「白鳥明神」の加護と感謝。このときから「鳥越大明神」の社号となったという。そこから、一般には「鳥越神社」と呼ばれるようになった。
そして、江戸時代、社の前の池を埋め立てて米蔵が並んだ。ここに働く者たちは力自慢。どこよりも大きく重い神輿を、力任せに勢いよく担ぐのが誇りだったのだろう。大正13年(1924)に組織された鳥越神社氏子十八ヶ町睦会が現在も祭りを支えている。
日曜日の「千貫神輿」渡御は早朝6時半の宮出し。
その後、猿田彦、江戸情緒豊かな芸者衆の手古舞を先頭に氏子町内を渡御し、夜7時ごろから宮入道中となる。神輿に付けられた提灯(ちょうちん)、氏子が掲げる多数の高張り提灯が揺れる幻想的な「鳥越夜祭り」。
数十万人の見物客の掛け声とどよめきは9時の宮入りまで続く。
この千貫神輿と、東京深川の富岡八幡宮、千葉木更津の八剣八幡神社の本社神輿が「関東三大宮神輿」といわれている。