知らない人が「チャグチャグ馬コ」と聞いても、恐らく何のことだか、さっぱりわからないだろう。
それも当然で、実は「チャグチャグ」は、パンパンと手をたたく、ゴーンゴーンと鐘が鳴る、などと同様の擬音語。「馬コ」はもちろん、馬に対する親しみを込めた東北特有の呼び方。したがって、これは、馬につけた鈴が「チャグチャグ」と鳴る音、というわけだ。そして、そうした鈴や華麗な飾り馬具で愛馬を美しく仕立て、神社に参って日ごろの馬の働きに感謝する、という祭り。馬と人間の長く深い交流を思わせる馬産地みちのく岩手の、初夏の伝統行事なのである。
岩手は、もともと奈良時代から馬の産地として知られたところ。ご存じのように日本の歴史のなかでは長く戦(いくさ)が続く時代があった。そうしたなか、たとえば源平合戦で活躍したような名馬をこの地は産してきたのである。
鎌倉幕府を開いた源頼朝は甲州の馬産の責任者であった南部氏を岩手の領主にし、さらに優秀な馬の育成を図った。大きくて強い南部馬の名はここから有名になっていく。江戸時代に至り、世の中が平和になると、南部馬の用途は軍馬から農林業の使役馬に変わる。江戸時代中期から、農業に馬は不可欠となり、南部岩手の農民は、家族と馬が一つ屋根の下で暮らす生活を構築した。土間を隔てて居間と厩(うまや)がある、鍵型の「南部曲がり家」の暮らしぶりである。
山の仕事に農耕に、抜群の働きを見せる頑健無双の南部馬も、農繁期には一休みが必要だ。そう考えた農民は、馬の神様「鬼越蒼前神社(おにこしそうぜんじんじゃ)」参詣とともに、その1日は境内で愛馬を休ませた。これが旧暦5月5日の端午の節句。馬に深い愛情を注ぐ土地ならではの慣わしであった。ときに、1000頭を超える馬が、この日、「お蒼前さま」に集まったという。そのうちに、馬自慢の飼い主たちが鈴や華麗な装束で愛馬を飾り始めた。これが「チャグチャグ馬コ」の原形である。
現在は毎年6月第2土曜日に岩手郡滝沢村の鬼越蒼前神社から盛岡八幡宮までの約15kmの道のりを、100頭ほどのチャグチャグ馬コがゆっくりと行列していく。
この祭りは国の無形民俗文化財に指定され、その「音」は環境庁による「残したい日本の音風景百選」に選定されている。