毎年6月20日、京都市左京区鞍馬本町の鞍馬寺で「竹伐会式(たけきりえしき)」、通称「鞍馬の竹伐(き)り」が行われる。京都の初夏の風物詩であり、平安時代の峯延上人(ぶえんしょうにん)の大蛇退治にちなむ、「奇祭」ともいえる祭儀である。
鞍馬寺は、京都の北部、鞍馬山の中腹にあり、寺に至る道は古くから「鞍馬の九十九折(つづらおり)」と呼ばれた険しい参道。いわば、昼なお暗い山中にある寺で、源平時代、源義経が牛若丸と呼ばれていた少年期にこの寺に預けられ、修行をしたエピソードがよく知られている。
平安時代前期の9世紀末、初夏のある日のこと。この鞍馬寺の中興の祖といわれる峯延上人が行をしていた折、北の峯から大蛇が現れ上人を襲った。「舌長きこと3尺ばかり、さながら火炎のごとし」という雄の大蛇である。そこで上人が真言を一心に唱えたところ、たちまち大蛇は倒れて死に、それを切り捨てた。
さらに、もう1匹、雌の大蛇が現れたが、これは鞍馬の「香水(こうずい)」を守ることを誓ったので許され、神として祀(まつ)られることとなった。この故事は、水源としての鞍馬が昔から京都の人々に大事にされてきたことを物語っている。
この千年前の伝説に由来するのが、「鞍馬の竹伐り」。6月20日の会式の当日、本殿に雄の大蛇に見立てた太い青竹と、雌の大蛇に見立てた根付きの細い竹が用意され、ほら貝の合図とともに、弁慶被りの僧兵姿となった荒法師が登場。その昔の、鞍馬寺の僧兵の勇ましさを彷彿(ほうふつ)とさせる。腰にはナンテンの葉を着けているのだが、これは、大蛇の毒消しの意味と、「難を転じる」に通じるところからのしきたりといわれる。
僧兵たちは、山刀(やまがたな)で雄の大蛇に見立てた青竹を一気に5段に切り落とす。
これは、峯延上人以来の古式ゆかしい祭儀ながら、江戸時代中ごろから、僧兵を、東方の「近江座」と西方の「丹波座」に分けて、竹を切り落とす速さを競うようになった。その勝敗によって、それぞれの地域の実りの豊凶を占うようになったのである。雌の大蛇に見立てられたほうの根付きの細い竹は、儀式の後、山に植え直される。
そして、切られた青竹のくずは最後に参集の人々に拾われる。魔よけとするためといわれ、あっという間になくなってしまう。
「竹を伐る息ととのへる荒法師 塩川雄三」