サクランボは保存がきかないため、この梅雨の時期という季節性、旬(しゅん)の味覚のイメージを強く持った果実。「赤い宝石」「初夏のルビー」などと呼ばれて広く親しまれている。
そうした時期のなかで、毎年6月の第3日曜日は「さくらんぼの日」とされている。山形県経済連の制定とのこと。また、平成2年(1990)には「日本一のさくらんぼの里」といわれる山形県寒河江(さがえ)市が、6月20日を「サクランボの日」と制定した。
昭和30年代の中ごろ、「若い娘がウッフン」という思わせぶりな歌い出しで大ヒットした曲があった。「黄色いさくらんぼ」である。詞は星野哲郎、曲は浜口庫之助。ともに昭和歌謡史に名を残す巨匠の若き日の才気あふれる作品だ。
まだ赤く熟れていない、黄色いサクランボに若い娘を象徴させたものだが、あの時代、サクランボは今ほど皆に知られたフルーツではなかった。だから、「サクランボ」という響きがオシャレだったのだろう。
そのちょっと前、昭和20年代の前半、まだ戦後の貧しさを引きずっていたころ、無頼派作家の太宰治はその最晩年に「桜桃」を書いて、桜桃つまりサクランボに自らの定めなき心情を託した。そして太宰の命日6月19日は「桜桃忌」と呼ばれることになった。しかし、この小説に登場するサクランボもバーの「つきだし」という、いわば特殊な位置づけ。「私の家では、子供たちに、ぜいたくなものを食べさせない。子供たちは、桜桃など、見た事も無いかもしれない」と書いたように、決して一般的な味覚として語られているわけではない。
いまや、フルーツ王国山形を代表する果実となった「サクランボ」は、いつごろから全国区になったのだろう。
現在、日本のサクランボの7割以上が山形県で生産されているが、その代表品種の「佐藤錦」が初結実したのが大正11年(1922)のこと。生みの親の佐藤栄助氏にちなむ名前だが「砂糖のように甘い」というニュアンスもあるとか。いずれにせよフルーツの名に「錦」をつけたところに山形県人の意気込みがうかがえる。
この「佐藤錦」は、明治5年(1872)にアメリカから導入され、明治9年(1876)に山形県に植樹された「ナポレオン」が母種。長くこの「ナポレオン」が中心だったものが、平成2年ごろから「佐藤錦」が生産量の1位になった。そのころから、「佐藤錦」の美味とともに、サクランボ=山形となったのだろう。