7月1日、金沢の人々は「氷室饅頭(ひむろまんじゅう)」を食べる。これは、藩政時代、旧暦6月1日の「氷室の節句」の日に、加賀百万石前田家が氷室から切り出した氷を幕府に献上したことにちなむ風習である。
冷凍庫も冷蔵庫もない時代、当たり前の話だが、年中氷を手に入れることはできなかった。しかし、炎暑の夏に、あの冷たい氷があれば・・・。そのように、「夏場の氷」は大変な貴重品で、古代から江戸時代まで、天皇や将軍といった権力者しか手に入れることができなかったものである。では、天皇や将軍に「献上」された「夏場の氷」はいったいどこで、どうやって用意されたのか。そのキーワードが「氷室」である。
「氷室」は、冬場にできた天然の氷を溶けないように保管しておくために作った特別の室、あるいは山中の穴のこと。日本古来の知恵、技術である。地面を掘って地中の冷気を利用し、そこに萱葺(かやぶ)き小屋を作って特別の「冷蔵装置」としたり、山かげの年中気温の低い洞窟(どうくつ)などを活用した「自然の保冷庫」を設けた。
それが「氷室」であり、そこで天然の氷を保管した。このことは、日本書紀や奈良時代の木簡の記述にも見られ、氷および氷室の管理をする担当者も、朝廷の一つの「職(しき)」として存在したようだ。
江戸時代には、氷室の節句の6月1日に加賀藩前田家から将軍家に氷が献上された。前田家の庭園、兼六園の中に設けられた氷室。そこで厳冬期に雪を詰めて天然氷を作った。これが特製「白山氷」。それを夏まで保管、期日に合わせて取り出して筵(むしろ)と熊笹にくるみ、江戸の加賀藩邸まで急送したという。
金沢から江戸までの行程およそ120里(約470km)。この距離を4昼夜かけて、飛脚隊は走りに走った。氷室の節句に間に合わせなければならない。しかも氷が溶けてしまったら「お家の一大事」。そうして届いた「白山氷」に対して、将軍はきっと「大儀であった」とねぎらったにちがいない。
金沢の人々は、この氷が無事江戸に届くことを祈って、天然氷からできた水を使って饅頭を作り、神社に供えた。このことが現在の「7月1日に氷室饅頭を食べて夏場の健康を願う」という金沢の風習の始まり。会社や役所でも配られるそうだから、この日、金沢の人々はほぼ100パーセント、紅白緑の「氷室饅頭」を食べているのだろう。