毎年7月下旬、島根県津和野町の弥栄(やさか)神社の祭礼、祇園祭に奉納される古典芸能神事「鷺舞(さぎまい)」が行われる。国指定の重要無形民俗文化財である。
津和野は、全国に数十カ所ある、いわゆる「小京都」といわれる町の中でも代表的なところで、「山陰の小京都」として知られている。旅行ガイドなどではよく「萩・津和野」とひとくくりにされることが多い。そのため、この二つの町は近隣のように思われがちだが、実は100km以上離れており、津和野は島根県、萩は山口県である。また、幕末、明治維新においては、石見の津和野藩は幕府方、そして萩を首府とする長州藩は討幕派の筆頭であった。
津和野は、その地名の由来が「石蕗(つわ)の生い茂る里」といわれるくらいの山間の町。霧深い盆地の静かな小さな城下町である。戦国時代前期、中国地方の雄であった大内氏は京文化を取り込み、その拠点である山口は「西の京都」といわれた。その中で京都の祇園社(八坂神社)の信仰も移入されていた。そして16 世紀半ば、津和野城主吉見正頼が大内氏の娘を迎え入れたとき、その無病息災を願って祇園信仰もともに津和野に伝えられ、鷺舞ももたらされたのである。
この「鷺舞」の「鷺」は、実は「カササギ」だ、という説がある。その翼を広げて七夕の織女と牽牛(けんぎゅう)の逢瀬をつくったといわれる鳥。その「七夕伝説」が日本に伝わるなかで白鷺に変わり、京都の祇園会の奉納舞となった。
津和野の鷺舞は、17世紀半ばに直接京都祇園会で習った古式を今に伝えている。一方、本家京都のものは、いつしか途切れてしまったといい、今京都で舞われている鷺舞は、津和野の鷺舞に習ったものとのこと。
津和野の弥栄神社では7月20日のご神幸の日、7月27日のご還幸の日の両日に、神社を含め町の定められた11カ所で「鷺舞」が舞われる。雌雄2羽の鷺が、大きな羽根を広げ、またすぼめ、寄り添いながら舞う。羽根がすれ合うシャラシャラという音とともに七夕のロマンチックなイメージが広がっていく。津和野の弥栄神社祇園祭400年の伝統がよみがえる。この町を生地とする文豪、森鴎外も見た小京都・津和野の「鷺舞」である。