福島県の北東部、宮城県に隣接する地域は相馬(そうま)地方と呼ばれる。中心都市の相馬市は、藩政時代の相馬藩の城下町。南隣には2006年に原町市、小高町、鹿島町が合併して南相馬市ができた。
福島県は、その歴史的、風土的背景から、太平洋に面した「浜通り」地方、郡山を中心とした「中通り」地方、そして県北西部の「会津」地方の3地域に分けて呼ばれることが多く、天気予報などの地域情報もそれに従っている。この地域分けでいえば、「浜通り北部」が相馬地方ということになる。
相馬地方は古くから「尚武」の気風が強いところだが、現在も国の重要無形民俗文化財に指定されている「相馬野馬追(そうまのまおい)」の行事が、その伝統を存分に伝えている。
甲冑(かっちゅう)に身を固め、旗指し物を背につけた騎馬武者が激しく入り乱れて、戦国時代の合戦さながらの騎馬戦を見せてくれる「相馬野馬追」。南相馬市の旧小高町にある小高神社と旧原町市にある太田神社、相馬市にある中村神社の3社合同の行事で、毎年7月23日から25日にかけての祭礼の2日目に催される。
7月23日、小高神社、太田神社、中村神社で、それぞれに出陣式が行われ、「決戦場」の雲雀ケ原(ひばりがはら)に向けての進軍が始まる。
7月24日。3神社から参集した約500騎馬が威風堂々の行進を見せ、その後、荒々しい古式甲冑競馬となる。
そしていよいよ、行事のクライマックス「神旗争奪戦」が繰り広げられる。これが、いわゆる「相馬野馬追」。本格的な戦闘に近い騎馬戦は、1年を通した騎手の修練と伝統への信頼があってこそ。「相馬武士道」にかけてきた思いが伝わってくる。
7月25日。小高神社では、騎馬武者が境内の竹矢来の中に裸馬を追い込む「野馬懸(のまがけ)」行事がある。そして、追い込まれた馬を素手でつかまえて小高神社に奉納し、行事を終える。これが、後に、生きた馬の代わりに「絵馬」を奉納することの起源といわれている。
この「相馬野馬追」の起源は、平安時代中期に東国に覇を唱えた平将門の「軍事訓練」とのこと。鎌倉期以降の政権は、こうした軍事訓練を禁じたが、相馬の人々はこれを「神事」として、今日まで営々と伝えてきたのである。