関東の名山筑波山で、毎年8月の第1日曜日に「ガマまつり」が催される。なぜそのような祭りが筑波山で行われるのか。その理由の第一は、筑波山が日本の中でも指折りの、とりわけ東国では古来より知られた「霊峰」だからである。
茨城県の南西部に位置する筑波山は、標高は876mとそれほど高くはないが、風土記や万葉集にも見られるほど古くから親しまれ、農業の神として尊崇を集めてきた霊山である。さらに江戸時代からは、徳川将軍家の祈願所として歴代将軍の篤(あつ)い保護を受けた。
こうした、ありがたい霊峰のふもとの沼に、ガマガエルがたくさん生息していたという。ガマガエルは、ヒキガエルの別称で、四肢短く、太った体形。黄褐色、黒褐色の背、灰白色の腹。背に多くのイボを持つ。
日本各地に分布するが、筑波山のような霊峰に生息するものとなると特別感が出るのか、そこに目をつけたのが近在のお百姓さんの兵助。兵助さんはある日「ガマの油」を売ることを思い立った。もともと筑波山中の寺のお上人様が大坂冬の陣・夏の陣の折に救急の傷薬として作ったという評判の薬があり、それが「ガマの油」のイメージにつながったのだろう。江戸時代中期の話である。
兵助さんは、露天販売のアイデアマンだった。霊峰筑波山で捕まえたガマを箱に入れ、「天下の妙薬・筑波山のガマの油」と書いた旗を持ち、紋付袴(もんつきはかま)にたすきがけという格好で、江戸の浅草寺などで販売を始めた。大刀を抜いて紙を切り、自分の腕を切り、出血を止めてガマの油の効能を大声で説明していく。「さあさ、お立会い。御用とお急ぎでない方は……」という、あの、ご存じ「ガマの油売り」の口上である。
筑波山のガマから抽出した脂で作った妙薬というわけだが、薬としては、それはあの「因幡の白兎」を治した植物のガマだともいわれる。また、筑波のガマの特別さをいう「四六の蝦蟇(がま)」の前足指4本、後ろ足指6本のうち、後ろ足指の1本は、繁殖期のオスの後ろ足のこぶだという指摘もある。
西日本では、これも霊峰伊吹山のガマの油の話もあるが、やはりガマの油といえば筑波山。筑波山ガマの油売り口上保存会を中心に、第二次世界大戦後「ガマまつり」の発足となった。神事のあと、ガマ神輿(みこし)や19代目平助の「ガマの油売り」口上などがにぎにぎしく披露され、筑波山中で捕獲されたガマも池に「奉納」される。