スピルバーグ監督の映画『シンドラーのリスト』が大ヒットする中で、日本人外交官・杉原千畝(ちうね)氏の功績が見直された。第二次大戦中、当時リトアニア領事代理の杉原氏(故人)は、ナチスによってポーランドを追われたユダヤ人たちに、日本政府の反対を押し切ってビザを発給、その数は6000人にのぼったという。当時、日本はドイツと同盟関係にあり、杉原さんの行為は戦後、独断と非難され、その責任を問われ、外務省を追われる形で退職した。しかしイスラエル政府やユダヤ人団体は、杉原さんの生存中から数々の表彰を重ね、アメリカに93年開館した国立ホロコースト(大量虐殺)記念館に遺影が飾られた。