第二次世界大戦末期に、南西諸島や沖縄本島においてアメリカ軍と日本軍の間で行われた戦い。日本における最大の地上戦であり、多数の民間人がこの戦闘に巻き込まれ犠牲となった。1945年3月23日、アメリカ軍が沖縄諸島に空襲を開始し、同月26日、慶良間(けらま)諸島に上陸して地上戦が始まった。4月1日には、沖縄本島の読谷(よみたん)から北谷(ちゃたん)にかけての海岸にアメリカ軍が上陸し、南北の分断を図る。南下したアメリカ軍の主力は、同月6日ごろから日本軍への攻撃を開始。沖縄の守備に当たっていた第32軍の司令部があった首里の防衛線である中部の宜野湾(ぎのわん)の高地において、以後40日余りにわたる日米両軍の攻防戦が始まった。5月4日、第32軍はアメリカ軍への総攻撃を行うが失敗に終わり、翌5日に中止。同月11日には、アメリカ軍が首里防衛線への総攻撃を始める。同月22日、第32軍は首里を放棄して摩文仁(まぶに)に撤退することを決定。同月31日、アメリカ軍が首里を占領した。6月23日、第32軍の牛島満軍司令官と長勇参謀長が自決し、日本軍の組織的な戦闘が終結した。しかし、その後も各地で引き続き戦闘が行われ、アメリカ軍の掃討戦により多くの死傷者が出た。9月7日、正式に降伏調印式が行われ、沖縄戦が最終的に終結。76年3月の沖縄県援護課の発表によれば、沖縄戦による死亡者数は、日米合わせて20万656人。日本人死亡者は18万8136人で、そのうち、一般住民約9万4000人を含む沖縄県出身者が12万2228人を占めている。沖縄県では74年10月、日本軍の組織的な戦闘が終結したとされる6月23日を「慰霊の日」とする条例を制定。毎年、同日には沖縄戦の全戦没者を悼み、各地で慰霊祭が開催されている。