イランの核開発問題に対して、欧米などが行ってきた経済制裁の解除。イランは1968年から核不拡散条約(NPT)に加盟しているが、2002年、同国の反体制組織により国内2カ所にウラン濃縮施設を建設していることが判明。さらに、核の闇市場から技術提供を受けていたことも発覚し、同国が核開発をしているとの疑惑が浮上した。英独仏との交渉によって、03年にはウラン濃縮活動一時停止の合意に至ったが、05年に強硬派のアフマディネジャド大統領が就任すると、ウラン濃縮活動を再開。これを受け、国際原子力機関(IAEA)は06年2月に問題を国連安全保障理事会(安保理)に付託し、安保理は同年12月に技術・物質の移転禁止、金融資産の凍結などを内容とする経済制裁を決議。07年3月には、制裁対象を拡大し、イランへの新規資金援助、融資の中止を要請する経済制裁を決議した。その後もイランが核開発活動を停止しないため、08年3月、安保理はイランの核・ミサイル開発関係者の海外渡航禁止措置などを内容とする3度目の制裁決議を行った。また、安保理決議とは別に、アメリカはイランと原油取引決済を行う外国金融機関に対するドル取引の停止、資産凍結、イラン石油・ガス部門への投資禁止など、EUはイラン中央銀行等の資産凍結、イラン産原油の輸入禁止などの独自制裁を行ってきた。13年になると、穏健派のロウハニ大統領が就任したことによって対話、交渉が進展し、15年7月、イランと米英独仏ロ中6カ国は、核開発を制限することで最終合意。16年1月16日、IAEAが、イランが合意通りに設備の縮小、濃縮ウランの搬出を終えたことなどを確認し、アメリカおよびEUは対イラン経済制裁の解除を発表した。国連安保理決議による制裁も、順次解除される見通し。日本政府も同月22日、石油・ガス分野における日本企業の新規投資禁止など、国連安保理決議に基づいて行ってきた制裁措置を解除した。イラン制裁解除の結果、イラン産原油が市場に流入することになり、原油価格の下落が一層進むと予想されている。イランとの関係が悪化しているアラブ諸国は、制裁解除によるイランの国際社会復帰を警戒しており、中東のパワーバランスが崩れる恐れも指摘されている。