イスラム教シーア派の中の一派。ザイード派とも呼ばれる。イスラム教の2大宗派であるスンニ派とシーア派は、誰を預言者ムハンマドの後継者と認めるかという点をめぐって見解が分かれる。ムハンマドの死後、共同体の合議で選出されたカリフを後継者とみなすスンニ派に対し、シーア派はムハンマドの娘むこであるアリーを正統な後継者とみなし、その子孫が指導者であるイマームの地位を世襲すると考える。ただし、シーア派の中でも誰がイマーム位の継承者であるかについて、異なる見解を持つ分派がいくつかある。シーア派の中で最大の分派である十二イマーム派などは、第5代イマームはムハンマド・バーキルであると考える。それに対し、ムハンマド・バーキルの弟であるザイド・イブン・アリーこそが正統な第5代イマームとする分派がザイド派。ザイド・イブン・アリー自身は、740年にスンニ派のウマイヤ朝に対して武力蜂起を起こして失敗し、戦死したが、彼の支持者たちはその後も残り、他のシーア派諸派とは異なる考え方を持つ一派として存続した。ザイド派は、初期のカリフを合法的な指導者として認める点や、イマームの超自然性に否定的な点などから、シーア派の中でもスンニ派に近い教えといわれる。9~10世紀には、カスピ海南岸にザイド派の王朝が築かれたほか、イエメン北部でも9世紀末にザイド派イマームによる王朝が成立。イエメンでは、1962年の共和制革命までザイド派イマームによる統治が続き、現在も北部を中心に多くのザイド派信徒が暮らしている。同国では2014年9月に、ザイド派系の武装勢力が首都サヌアに進撃して当時の内閣を交代に追い込んだ。さらに、15年1月にはサヌアの大統領宮殿を襲撃、制圧し、緊張が高まった。