北朝鮮の南部、韓国との南北軍事境界線に近い開城市郊外に開発された工業地帯。主に北朝鮮が土地と労働力を、韓国が資本と技術を提供する南北経済協力事業であり、2000年6月に平壌で行われた、北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)総書記(当時)と韓国の金大中(キム・デジュン)大統領(当時)の首脳会談で共同開発が合意された。金大中政権による太陽政策の象徴的な事業とされる。合意時の構想では、約65.7平方キロメートルの予定地に2000以上の企業が入居する大規模な商工業複合都市の建設が目標とされた。その後、03年に造成工事が始められ、翌04年には韓国企業の入居と操業が開始。入居企業の多くは繊維、機械、電子部品などを製造する中小企業で、北朝鮮側の安価な労働力などを目的として、12年末時点で123社が進出し、12年の生産額は過去最大の4億6950万ドルに達した。一方、北朝鮮にとっても貴重な外貨獲得の手段であり、同地域で働く約5万3000人の北朝鮮労働者に支払われる賃金は年間8000万ドル以上といわれる。08年に金剛山観光事業が中断された後は、両国の労働者が混在する唯一の場所となっていたが、南北関係の悪化を受け、北朝鮮政府は13年4月3日に韓国側からの立ち入りを禁止。その後、両国の労働者が撤収し、事実上の閉鎖状態になった。