ウクライナ南部の黒海に突き出た半島。面積は約2万6000平方キロで、四国の1.4倍。戦略上の重要拠点で、古くから係争が続いてきた。15世紀にタタール人の国家、クリム・ハン国が建設された。その後、オスマン・トルコの保護国となったが、オスマン・トルコを破ったロシア帝国がクリミア半島を1783年に併合。1853年には、南下政策を進めるロシア帝国がトルコ領内に侵入し、トルコ、イギリス、フランスなどの連合軍との間で半島を舞台としたクリミア戦争が勃発した。ロシア帝国崩壊後は、半島の領有はソビエト連邦が引き継いだ。第二次世界大戦末期、スターリン政権がタタール人をナチス協力者として中央アジアに集団追放し、この間にロシア人が大量に入植した。1945年の終戦時には、半島南端のヤルタで戦後処理をめぐる連合国の会談(ヤルタ会談)が行われた。54年、当時のソ連の指導者、フルシチョフが半島の帰属をロシア共和国からウクライナ共和国へ移し、91年のソ連崩壊後はウクライナ領となる。96年、ウクライナ唯一の自治共和国として、半島にクリミア自治共和国が成立。ただし、軍港のあるセバストポリはウクライナ政府の管轄に置かれ、ロシアとの租借協定によって、ロシアの黒海艦隊の基地となっている。2010年、ロシア政府とウクライナ政府は17年までの基地貸与の期限を25年間延長し、42年までとすることで合意した。