中国の北京市にある天安門広場を中心に起こった民主化要求運動。1976年4月の第一次天安門事件(四・五運動)と、89年6月の第二次天安門事件(六・四事件)の二つがあるが、たんに天安門事件といった場合には第二次を指すことが多い。第二次天安門事件は、89年4月に、中国民主化の星と呼ばれた胡耀邦元総書記の追悼集会が開かれたことがきっかけとなった。集会に参加した大学生らを中心に、その後、市民や知識人などが加わり、政府に対する大規模な民主化要求デモが発生。運動を「動乱」と規定して戒厳令を敷いた政府と学生らの間でにらみ合いが続いた後、同年6月4日に人民解放軍によって武力での鎮圧が実行され、多数の死傷者が出た。中国政府発表の死者数は319人だが、全容はいまだに不明で、実際には発表を大きく上回る死者が出たという説も多い。武力弾圧の様子は諸外国のメディアでも大きく報じられ、中国政府は国際的な非難を浴びたが、こうした批判は内政干渉だとして強く反発した。2013年3月に成立した習近平体制下でも、事件に対する名誉回復はなされておらず、事件に関わった活動家に対する監視や、報道、インターネット検索に対する制限などが行われている。