第二次世界大戦中に三菱鉱業(現・三菱マテリアル、本社・東京都千代田区)で労働を強いられた中国人元労働者と同社の間で行われた和解交渉。戦時中、日本国内の労働力不足を補うため、約3万9000人の中国人が強制連行され、三菱鉱業など35社の事業所で労働させられた。炭鉱や建設現場での過酷な労働のため、うち6830人が死亡した。1990年代に入って、元労働者や遺族らは日本政府と企業に損害賠償を求める訴えを日本の裁判所に起こしたが、2007年、最高裁判所は「戦時中に生じた日本への請求権は日中共同声明(1972年)によって放棄された」とし、原告の訴えを退けた。その後、中国の裁判所でも同様の訴えが起こされ、三菱マテリアルは14年から原告側と和解交渉を開始。原告側の一部を除いて交渉がまとまり、16年6月1日に北京で和解合意書が交わされた。同社は戦時中の労働について歴史的責任と謝罪を表明した上で、被害者1人あたり10万元(約170万円)を支払い、記念碑の建立費用や所在不明の被害者、遺族の調査費用も拠出する。三菱鉱業で働いていた元労働者と遺族の計3765人が対象。民間企業の戦後補償としては過去最大規模となり、戦時中の強制連行、労働に関して訴えられている他企業にも影響を与えると見られている。