1961年3月28日、三重県名張市葛尾(くずお)地区の公民館で開かれた懇親会で、白ブドウ酒を飲んだ女性17人が中毒症状を起こし、うち5人が死亡した事件。飲み残したブドウ酒から農薬が検出された。翌月、三重県警は妻と愛人がともに事件で死亡した奥西勝(当時35歳)を殺人容疑などで逮捕。捜査段階で奥西容疑者は、妻、愛人との三角関係を解消するため、自宅から用意した農薬「ニッカリンT」を入れて殺害したことを認めたが、起訴直前に否認に転じた。64年12月、第一審の津地裁は証拠不十分として無罪判決を言い渡したが、第二審の名古屋高裁は第一審判決を破棄して69年9月に死刑を言い渡し、72年6月に最高裁で上告が棄却されて死刑が確定した。その後も奥西死刑囚は無罪を訴えて73年から再審請求を繰り返し、第5次再審請求からは日本弁護士連合会(日弁連)が支援。再審請求審などでは、自白調書の信用性や、犯行に使用された農薬が奥西死刑囚が供述した種類と一致するかなどが争点となった。第6次再審請求まではいずれも棄却されたが、2005年4月に名古屋高裁が第7次請求について再審開始を初めて決定。しかし、その後に検察側の異議を受けて同高裁の別の裁判長が再審開始決定を取り消した。奥西死刑囚側の特別抗告に対し、最高裁は10年4月に審理を名古屋高裁に差し戻したが、同高裁は差し戻し審で再審を認めず、13年10月に最高裁が弁護側の特別抗告を棄却して第7次再審請求を退ける判断が確定した。奥西死刑囚は1972年の死刑確定後、長期間にわたって名古屋拘置所に収容されていたが、2012年5月に体調を崩して入院。同年6月に東京の八王子医療刑務所に移送された。その後、同刑務所で寝たきりの状態が続き、弁護側による第9次再審請求中の15年10月4日に肺炎のため89歳で死亡した。