第二次世界大戦後から1970年代にかけ、ハンセン病患者が出廷する裁判を隔離された場所で開いてきたことに対し、最高裁判所が2016年4月25日に表明した謝罪。特別法廷とは、裁判所以外の場所で開かれる法廷のことで、開廷の申請を受けた際に、最高裁が必要と認めた場合にのみ、裁判所法の規定に基づいて開かれる。1948~77年に開かれた113件の特別法廷のうち、ハンセン病患者が出廷するにあたって感染の恐れがあることなどを理由に、療養所、刑務所、拘置所などで開かれたケースは48~72年で申請件数96件中95件にのぼる。ハンセン病が確実に治癒する疾患になり、感染についても他の疾患と区別するほどの危険性があるとは考えられなくなっていた60年以降であっても、27件の特別法廷が開かれた。ハンセン病患者は96年に「らい予防法」(1907年癩予防法として制定、53年に改正、公布)が廃止されるまで、強制的に隔離されてきた。しかし2001年5月11日、熊本地方裁判所が同法による隔離政策は違法であったと認める判決を出したことを受け、小泉純一郎首相(当時)が患者らへの謝罪の意を含んだ談話を発表し、衆参両院でも謝罪決議がなされた。しかし、最高裁は以後10年以上も、ハンセン病を理由に特別法廷を開廷してきたことへの検証作業や責任の所在に関する意思表明を行わず、13年11月、元患者らが作る団体が第三者機関による検証を申し入れた結果、14年5月、最高裁事務総局が調査委員会の設置を決定し、ようやく調査が開始された。16年4月25日には、最高裁が「ハンセン病を理由とする開廷場所指定に関する調査報告書」を公表。報告書では、裁判所法において、特別法廷が認可されるのは真にやむを得ない場合に限られるとされているにもかかわらず、ハンセン病患者に対する特別法廷設置にあたって、必要性を慎重に検討しなかったことは合理性、正当性を欠き、違法であったと表明。ハンセン病患者を差別的に扱った疑いが強く、患者の人権と尊厳を傷つけたとして、異例の謝罪を行った。同年5月2日には、寺田逸郎最高裁長官も記者会見の場で謝罪。ただし、憲法が定めた「法の下の平等」に違反するのではないかという指摘に対しては、裁判所法に照らして違法であったという結論を下した以上、違憲かどうかの判断は法律的に不要であると説明。また、元患者によれば、裁判が非公開であったという証言があり、やはり憲法が保障する「裁判の公開の原則」に違反するのではないかという指摘もあったが、当時の資料が残っておらず判断できないとして認めなかった。