大阪府南部の泉南地域に点在していた石綿(アスベスト)紡績工場の元従業員やその家族らが、国による規制の遅れで石綿による健康被害を受けたとして起こした国家賠償請求訴訟。同地域は明治時代末から石綿紡織業が盛んになり、第二次世界大戦後には日本最大の生産地に成長した。しかし、紡績工場の従業員は粉じん対策が取られていない労働環境で働いていたため、その後、石綿を吸引したことによって肺がんや中皮腫(ちゅうひしゅ)などの深刻な疾患を発症する人が多数現れた。当時、操業していた紡績工場の大半は中小企業で工場も現存しないため、元労働者らは、2006年提訴の第1陣(原告34人)と09年提訴の第2陣(原告55人)に分かれて、国の賠償を求める集団訴訟を起こした。裁判では、工場内への排気装置の設置義務づけ、石綿粉じん濃度の規制強化、防じんマスク着用の義務化、の3点について、国の対策が遅れたかどうかが主な争点となった。大阪地方裁判所の第1審判決では、第1陣(10年5月判決)、第2陣(12年3月判決)ともに、1958年頃には石綿による健康被害の深刻さが判明していたにもかかわらず、71年まで排気装置の義務づけを行わなかったことに関する国の賠償責任を認めた。しかし、その後の大阪高等裁判所での第2審では判断が分かれ、第1陣の判決(2011年8月)は地裁判決を覆して国の賠償責任を認めない一方で、第2陣(13年12月判決)では国の責任を認めた。14年10月、最高裁判所の上告審判決により、排気装置の設置義務づけに関しては国の責任を認める統一判断が示され、第2陣は原告側の勝訴が確定。55人中54人に対し、計3億3000万円を支払うように国に命じた。第1陣も原告34人のうち28人について、賠償額算定のための審理を高裁に差し戻した。この最高裁判決を受け、塩崎恭久厚生労働大臣は原告に謝罪する旨の談話を発表。全国の石綿訴訟で国の賠償責任を認める最高裁判決が出たのは初めてのことで、国や企業に対して全国で計830人以上が訴えている、14件の石綿訴訟にも影響を与える可能性が高い。