島根県松江市の中心部、宍道湖(しんじこ)に臨む亀田山に建てられた城。関ヶ原の戦いの功で出雲(いずも)、隠岐(おき)の領主となった堀尾吉晴が1607年に築城を始め、11年にほぼ完成。以後、松江藩主となった堀尾氏、京極氏、松平氏の居城となり、出雲地方における政治、経済の中心地として機能した。天守は築城時のものが現存しており、日本全国で天守が現存する12城のうちの一つ。外観は四重、内部は地上5階、地下1階の構造をしており、正面の南面には玄関となる附櫓(つけやぐら)が設けられている。千鳥が翼を広げたように見える三角屋根の破風(はふ)から、千鳥城との異名も持つ。明治維新後の廃城令により天守以外の建物は全て撤去された。1960年から天守以外の復元が始まり、2001年には、古写真、図面、発掘調査などに基づき、二の丸南櫓(やぐら)・中櫓・太鼓櫓とそれを結ぶ土塀が復元された。天守は1935年に旧国宝保存法で国宝に指定されたが、50年に施行された文化財保護法では重要文化財指定となった。その後、松江市では度々、国宝指定を陳情してきたほか、築城の経緯などについて独自に調査を進め、2012年には築城年を記した祈祷(きとう)札を市内で発見。調査結果などを受け、15年5月、文化庁の文化審議会が松江城天守の国宝指定を文部科学大臣に答申した。