1872年に、明治政府が群馬県富岡市に設立した官営の製糸場。当時の重要な貿易品である生糸の品質改善、生産向上、技術指導者育成を目的として洋式の繰糸機械を導入した日本で最初の機械製糸場であり、模範工場とされた。フランス人技師、ポール・ブリュナが建設地の選定、製糸技術の指導にあたり、建物の設計は同じくフランス人のオーギュスト・バスティアンが担当。繰糸場、東西の繭倉庫、ブリュナ館などの主要な建物の建築には、木の骨組みに、れんがを積み上げて造る木骨煉瓦造(もっこつれんがぞう)が採用され、屋根は瓦ぶきの和洋折衷の洋風建築となっている。93年に三井家に払い下げられ、民営となり、その後、1938年に片倉(現・片倉工業、本社・東京都中央区)に経営が代わり、87年に操業停止。2005年に富岡市に寄贈された。建造物は、明治時代の姿のまま残されており、06年、重要文化財に指定された。14年4月26日、絹産業に関わる田島弥平旧宅(伊勢崎市)、高山社跡(藤岡市)、荒船風穴(下仁田市)とともに、「富岡製糸場と絹産業遺産群」として国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関、国際記念物遺跡会議(イコモス)から、世界文化遺産に登録するよう勧告された。同年6月15日から開かれる世界遺産委員会で正式決定。