江戸時代末期から明治にかけて、日本が重工業分野において急速な産業化を成し遂げた軌跡を示す産業遺産群。萩エリア(山口県萩市)の萩反射炉、恵美須ヶ鼻造船所跡、大板山たたら製鉄遺跡、萩城下町、松下村塾、鹿児島エリア(鹿児島市)の旧集成館、寺山炭窯跡、関吉の疎水溝、韮山エリア(静岡県伊豆の国市)の韮山反射炉、釜石エリア(岩手県釜石市)の橋野鉄鉱山・高炉跡、佐賀エリア(佐賀市)の三重津海軍所跡、長崎エリア(長崎市)の小菅修船場跡、三菱長崎造船所第三船渠、同ジャイアント・カンチレバークレーン、同旧木型場、同占勝閣、高島炭坑、端島炭坑(通称軍艦島)、旧グラバー住宅、三池エリア(福岡県大牟田市、熊本県荒尾市、同宇城市)三池炭鉱と三池港、三角西(旧)港、八幡エリア(福岡県北九州市、同中間市)の官営八幡製鐵所、遠賀川水源地ポンプ室、の計8県23資産から構成される。2009年1月に国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産暫定一覧表に追加記載され、日本政府は14年1月に、「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」の名称で正式な推薦書をユネスコの世界遺産センターに提出した。15年5月、世界遺産への登録の可否を調査する国際記念物遺跡会議(イコモス)が、同遺産群は非西洋国で初めて産業革命に成功した例を示すものと評価し、名称を「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」に変更したうえで、ユネスコに登録を勧告。しかし、ユネスコ世界遺産委員会委員国の一つである韓国が、同遺跡群のうち7カ所で、第二次世界大戦中に朝鮮半島出身者が徴用工として労働させられた歴史について指摘し、登録に異議を申し立てた。これに対し日本が、産業遺産としての対象年代は1850~1910年代であり、第二次世界大戦中を含まないと主張したことで意見が対立。両国の間で協議が行われていたが、2015年6月21日の日韓外相会談で、両国がそれぞれ推薦する遺跡に対して相互協力を行うことで合意した。同年7月5日にドイツのボンで開催された第39回ユネスコ世界遺産委員会では、日本が英語の発言の中で1940年代の徴用工について言及。彼らが「against their will(彼らの意思に反して)」「forced to work under harsh condition(過酷な状況下で労働を強いられた)」と述べ、その歴史を明示すると表明したことで、韓国の理解を得て、世界文化遺産への登録が全会一致で正式に決定した。国内の世界文化遺産登録は14年の「富岡製糸場と絹産業遺産群」に次いで15件目。自然遺産を含めた世界遺産全体では19件目の登録となる。