タカクラ・ケン。俳優。
1931年2月16日、福岡県生まれ。本名、小田剛一。54年に明治大学商学部を卒業後、家業の手伝いを経て、55年に再度上京。東映にスカウトされ、第2期ニューフェースとして俳優の道に入る。翌56年、映画「電光空手打ち」でデビュー。60年代に大ヒットした「網走番外地」「日本侠客伝」「昭和残侠伝」などの任侠映画シリーズで、寡黙で硬派な主役を演じて人気を獲得。「健さん」の愛称でファンに親しまれ、東映の看板スターとしての地位を確立する。また、劇中のせりふ「死んでもらいます」が流行語になったほか、映画の主題歌も自ら歌い、人気を博した。76年に東映を退社し独立。佐藤純彌監督作「君よ憤怒の河を渉れ」(76年)、森谷司郎監督作「八甲田山」(77年)など、任侠ものではない大作映画で相次いで主演を務める。77年の山田洋次監督作「幸福の黄色いハンカチ」では、不器用で一途な主人公を好演し、第1回日本アカデミー賞最優秀主演男優賞、ブルーリボン賞主演男優賞など数々の賞を受賞した。99年の降旗康男監督作「鉄道員(ぽっぽや)」では、第23回モントリオール世界映画祭主演男優賞を受賞。他の出演作は「野性の証明」(78年)、「動乱」(80年)、「南極物語」(83年)、「居酒屋兆治」(83年)、「四十七人の刺客」(94年)など多数。ハリウッド映画の「ブラック・レイン」(89年)や、日中合作映画「単騎、千里を走る。」(2006年)などにも出演し、日本を代表する映画俳優として国際的な評価を得ている。そうした功績が認められ、06年に文化功労者、13年に文化勲章を受章した。私生活では、1959年に歌手の江利チエミと結婚し、71年に離婚。その後は、独身を通した。2014年11月10日、悪性リンパ腫のため死去。83歳。