ニシモリ・テルユキ。元大関、魁傑。元大相撲力士。
1948年2月16日、山口県生まれ。66年に、日本大学在学中に花籠親方(元幕内・大ノ海)にスカウトされ、花籠部屋に入門。同年9月の秋場所で初土俵を踏んだ。71年の秋場所で新入幕を果たし、翌年5月の夏場所で小結に昇進。74年11月に、九州場所で横綱北の湖を制して初の幕内優勝を飾る。翌年1月、初場所後に大関に昇進したが、同年11月に2場所連続で負け越して大関から陥落。76年の秋場所で、前頭4枚目で2度目の優勝を果たし、翌年の初場所後に大関に復帰した。79年1月、初場所後に引退し、年寄放駒(はなれごま)を襲名。現役時代は、誠実な人柄から、「クリーン魁傑」、肌が褐色だったことから、「黒いダイヤ」、「快傑黒頭巾」の愛称で親しまれた。81年に、花籠部屋から独立して放駒部屋を創設、第62代横綱となった大乃国(現・芝田山親方)を育てた。2010年8月、野球賭博問題で辞任した武蔵川理事長に代わって、日本相撲協会の第11代理事長に就任。11年2月に、八百長問題が発覚した際は、周囲の反対を押し切り、25人の親方、力士を処断するなど、角界の浄化に尽力した。その後も、日本相撲協会の組織改革、高額売買が問題となった年寄名跡問題に取り組んだ。13年2月に、日本相撲協会を定年退職。14年5月18日、虚血性心疾患のため死去。66歳。