サイトウ・ヒトシ。元柔道選手、柔道指導者。
1961年1月2日、青森県生まれ。中学1年のときに柔道を始め、中学卒業後に上京して国士舘高校に進学する。79年、国士舘大学に入学。学生時代から重量級の逸材と目され、81年に全日本学生選手権無差別級で優勝。大学卒業後、同大体育学部助手となった83年にモスクワで開催された世界選手権の無差別級で優勝。国内では、3歳年上の山下泰裕の好敵手として名勝負を繰り広げ、83~85年の全日本選手権では3年連続して決勝で山下に敗れた。その間、84年のロサンゼルス・オリンピック95キロ超級で金メダルを獲得。88年には全日本選手権で初優勝を達成すると、ソウル・オリンピック95キロ超級でも金メダルを獲得する。柔道日本勢が不振に苦しんだ同オリンピックで男子唯一の金メダル獲得だった。89年の現役引退後は、母校の国士舘大学柔道部監督を務め、鈴木桂治らを指導した。2000年、全日本柔道連盟(全柔連)の男子監督に就任。04年のアテネ・オリンピック、08年の北京オリンピックで男子チームの指揮を執った。08年、国士舘大学教授。同年、全柔連強化副委員長になり、12年に同委員長に就任した。13年に肝内胆管がんを患い、15年1月20日がん性胸膜炎のため死去。54歳。