カツラ・ベイチョウ。落語家。
1925年11月6日、旧満州(現・中国東北部)の大連生まれ。本名、中川清。30年に帰国し、兵庫県姫路市で育つ。43年に東京の大東文化学院(現・大東文化大学)に進学し、在学中に寄席文化研究者の正岡容(いるる)に師事した。第二次世界大戦後、神戸市での会社勤務を経て、47年に4代目桂米団治に弟子入りし、3代目桂米朝を名乗る。当時の上方落語は、有力な落語家の不在で消滅の危機に瀕していたが、故6代目笑福亭松鶴、故5代目桂文枝、3代目桂春団治とともに復興に尽力。米朝を合わせた4人はのちに「上方落語四天王」と称された。「たちぎれ線香」「百年目」など多数の演目を得意とし、「地獄八景亡者戯(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)」など、長く演じられなくなっていた噺(はなし)も次々と発掘し、現代風にアレンジして復活させた。また、日本全国で独演会を開いたほか、「ハイ!土曜日です」(関西テレビ)など、テレビやラジオの司会者としても活躍した。後進の指導にも熱心で、故桂枝雀、桂ざこばら、多くの人気落語家を育てた。87年に紫綬褒章を受章。96年には、故柳家小さんに次いで、落語家では2人目の人間国宝に認定される。2002年、文化功労者。09年に落語家としては初めての文化勲章を受章した。著書に「米朝落語全集」(1980~82年、創元社刊)、「落語と私」(86年、文藝春秋刊)などがある。2015年3月19日、肺炎のため死去。89歳。