キタノウミ・トシミツ。元大相撲力士。
1953年5月16日、北海道生まれ。本名、小畑敏満。13歳で三保ヶ関部屋に入門し、67年1月場所(初場所)で初土俵を踏む。71年5月場所(夏場所)に17歳11カ月で新十両に昇進し、72年1月場所に18歳7カ月で新入幕するが、いずれも当時の最年少記録であった。74年7月場所(名古屋場所)後に、史上最年少の21歳2カ月で第55代横綱に昇進。以後、ライバルである横綱の輪島とは熱戦を繰り広げ、「輪湖時代」と呼ばれた。78年には1月場所から5場所連続優勝し、当時の新記録である年間82勝を挙げる。憎らしいほどの強さから、子どもたちが好きなものを並べた流行語「巨人大鵬卵焼き」をもじって嫌いなものに言い換え、「江川ピーマン北の湖」と揶揄(やゆ)されることもあった。85年1月場所中に引退。通算成績は、951勝350敗107休。優勝24回。横綱在位は63場所で、2015年11月時点で、この記録は破られていない。引退後はその功績から、定年まで特別にしこ名のまま年寄資格が与えられる「一代年寄」「北の湖」が贈られ、北の湖部屋を興して後進の育成に当たる。02年に戦後生まれとして初の日本相撲協会理事長に就任するが、08年、弟子が関与した大麻事件の責任を取り辞任。12年に再び理事長に選ばれ、不祥事続きで揺れる大相撲の人気回復と発展に力を注いだ。15年11月20日、直腸がんによる多臓器不全のため死去。62歳。