タベイ・ジュンコ。登山家。
1939年9月22日、福島県生まれ。62年に昭和女子大学英米文学科卒業後、社会人の山岳会に入会し、本格的な登山活動を始める。69年、「女子だけで海外遠征を」を合言葉に、女子登攀(とうはん)クラブを設立。70年、ネパールのアンナプルナIII峰に日本人初、女性初の登頂。75年には、エベレスト日本女子登山隊副隊長兼登攀隊長として女性世界初のエベレスト(世界最高峰)登頂に成功する。その後、81年にキリマンジャロ(アフリカ大陸最高峰)、87年にアコンカグア(南アメリカ大陸最高峰)、88年にマッキンリー(デナリ、北アメリカ大陸最高峰)、91年にビンソンマシフ(南極大陸最高峰)、92年にカルステンツ・ピラミッド(オセアニア大陸最高峰)、エルブルス(ヨーロッパ大陸最高峰)の登頂に成功し、女性初の7大陸最高峰登頂者(セブンサミッター)となる。2000年、エベレストのごみ問題を研究テーマに九州大学大学院比較社会文化研究科修士課程修了。以後、年に数回、海外登山に出かける。また、山岳環境保護団体のNPO法人日本ヒマラヤン・アドベンチャー・トラスト(HAT-J)代表を務めるなど、環境問題にも取り組む。12年からは毎夏、東日本大震災の被災地復興支援として、地元の高校生たちと富士登山を続けた。1975年に日本スポーツ大賞、95年に内閣総理大臣賞を受賞するなど受賞歴も数多い。著書に「エプロンはずして夢の山」(96年、東京新聞出版局)、「山を楽しむ」(2002年、岩波新書)などがある。12年に腹膜がん、14年に脳腫瘍を患いながらも精力的に登山を続け、16年7月、富士山の元祖七合目(富士山頂への最短ルート「富士宮口登山道」の山室、標高3010メートル地点)まで登り、頂上へ向かう東北の高校生たちを見送ったのが最後の登山となった。同年10月20日、腹膜がんのため死去。77歳。