リー・クアンユー。政治家。
1923年9月16日、イギリスの植民地だったシンガポール生まれ。曽祖父の代に同地に移り住んだ華人(中国系)の4世で、中国名は李光耀。第2次世界大戦中にシンガポールを占領した日本軍の報道部で約1年間勤務し、戦後はイギリスのケンブリッジ大学に留学。帰国後に弁護士になる。54年、イギリスからの独立を目指す政党、人民行動党(PAP)を結成し、書記長に選ばれた。シンガポールが英連邦自治州になった59年の立法議会選挙で勝利し、35歳の若さで自治州首相に就任。63年、シンガポールのマレーシア連邦加入に伴い、州政府首相になる。65年にマレーシアからの分離独立により成立したシンガポール共和国の初代首相に就任した。その後は、税制優遇などを通じて外国からの資本や人材を積極的に招き入れる政策を進め、人口が少なく資源もない同国をアジアにおける貿易、金融の一大拠点に発展させて、「建国の父」と呼ばれた。その一方で、政治的自由を制限し、経済開発を推進する開発独裁と呼ばれる政治手法は批判の対象ともなった。90年にゴー・チョクトン副首相(当時)に首相の座を譲った後も、上級相、顧問相を歴任し、同国政界における事実上の最高権力者といわれた。2004年には、長男のリー・シェンロンが第3代首相に就任。11年の総選挙で野党が過去最多の議席を獲得したため、閣僚ポストを退いた。15年2月に重い肺炎にかかり、入院していたが3月23日に死去。91歳。