ヒラオ・セイジ。ラグビー元日本代表。
1963年1月21日、京都府生まれ。京都市立伏見工業高校3年時に、全国高等学校ラグビーフットボール大会(全国高校ラグビー)で優勝し、同志社大学進学後の82年、当時史上最年少の19歳4カ月で日本代表に選出される。同大学では、史上初の全国大学ラグビーフットボール選手権大会3連覇達成に貢献。86年に神戸製鋼に入社し、ラグビー部主将として89年から日本ラグビーフットボール選手権大会7連覇に導く。また、日本代表としてワールドカップに87年の第1回大会から3大会連続出場。91年大会では日本代表キャプテンを務める。スタンドオフやセンターバックスとして日本のラグビーをけん引し、ミスター・ラグビーと呼ばれた。代表キャップは35を数える。現役引退後、97年に34歳で日本代表監督に就任し、99年のラグビーワールドカップを指揮。また、97年から神戸製鋼ラグビー部ゼネラルマネジャーを務める。2005~07年と15年以降、日本ラグビーフットボール協会理事。15年秋ごろから体調を崩し、16年10月20日、胆管細胞がんのため死去。53歳。