クロダ・ヒロキ。プロ野球選手。
1975年2月10日、大阪府生まれ。右投げ右打ちの投手。父は元プロ野球選手の黒田一博で、小中学校時は父が監督を務める野球チームに所属した。私立上宮高校時代は補欠投手として過ごしたが、93年に進学した専修大学でエースとして活躍。96年にドラフト2位(逆指名)で広島東洋カープに入団した。翌97年4月の巨人戦で先発投手としてプロ初登板を記録し、同試合で初勝利。1年目から23試合に登板し、6勝9敗の成績を残す。98年は1勝にとどまったが、99年からは先発ローテーションに定着。2001年から03年には3年連続で2ケタ勝利を挙げるなど、カープのエースに成長した。04年、アテネ・オリンピックに出場し、銅メダル獲得に貢献。05年には15勝を挙げて、初タイトルとなる最多勝に輝き、翌06年にも防御率1.85で最優秀防御率のタイトルを獲得した。07年オフにフリーエージェント(FA)権を行使し、メジャーリーグのロサンゼルス・ドジャースに入団。08年には9勝を挙げ、同チームの地区優勝に貢献する。その後も先発投手として毎シーズン安定した投球を見せてアメリカでの評価を確立し、12年1月にニューヨーク・ヤンキースと契約。10~14年には5年連続の2ケタ勝利を記録する。14年オフにヤンキースからフリーエージェントとなった後は、複数のメジャー球団から好条件の誘いを受けたが、同年12月に古巣の広島カープ入団を発表。日米の野球ファンを驚かせた。復帰1年目の15年には11勝を挙げる。16年7月23日、対阪神戦でシーズン7勝目を挙げ、日米通算200勝を達成。日米通算200勝は05年の野茂英雄以来2人目で、日本プロ野球での達成者を合わせて26人目となる。また、16年は通算10勝を挙げ、広島カープの25年ぶりのセントラル・リーグ優勝に貢献したが、同年10月18日、日本シリーズを前に、今シーズン限りの引退を表明。同月22日から開幕した日本シリーズでは、パシフィック・リーグ優勝チームの北海道日本ハムファイターズと戦い、25日の第3戦では先発登板したが、体の不調から途中交代。第7戦が開催された場合には再登板する可能性があったが、29日の第6戦に敗れ2勝4敗となったことで日本一を逃すとともに、第3戦が現役最後の登板となった。同シリーズ後、球団は黒田の背番号15を永久欠番とすることを発表。広島カープとしては山本浩二(背番号8)、衣笠祥雄(背番号3)に続く3例目となる。日本におけるプロ通算成績は321試合124勝105敗1セーブ、防御率3.55。メジャー通算成績は212試合79勝79敗、防御率3.45。