ヨハン・クライフ。元サッカー選手。
1947年4月25日、オランダのアムステルダム生まれ。本名、ヘンドリク・ヨハネス・クライフ。57年、オランダのサッカークラブチーム、アヤックスの下部組織に入団し、64年にデビュー。アヤックスでは、71~73年に欧州チャンピオンズカップ(現・チャンピオンズリーグ)3連覇を果たす。73年、スペインのFCバルセロナに移籍。74年のワールドカップ西ドイツ大会では、選手のポジションを固定せず、全員攻撃、全員守備を行う「トータルフットボール」を実践するオランダ代表の中心選手として、同国の準優勝に貢献。抜群のテクニックを誇り、独自のフェイント「クライフ・ターン」などを編み出したほか、ジャンピングボレーシュートなどのスピード感あふれる華麗なプレーで「フライングダッチマン(空飛ぶオランダ人)」の異名を取る。71、73、74年の3回、バロンドール(欧州年間最優秀選手賞)に輝いた。79年にアメリカのロサンゼルス・アデックスに入り、以後、ワシントン・ディプロマッツ(アメリカ)、レバンテ(スペイン)、アヤックスを経て、84年、オランダのフェイエノールト・ロッテルダムで現役を引退。オランダ代表としては48試合に出場し、33得点をマークした。現役引退後は指導者として活躍し、FCバルセロナの監督として、92年に同FC初のチャンピオンズカップ優勝、リーガ・エスパニョーラ4連覇などの実績を残す。2009~13年、カタルーニャ選抜の監督を務める。16年3月24日、肺がんにより死去。68歳。