ベラ・チャスラフスカ。元体操選手。
1942年5月3日、チェコスロバキア(現チェコ)のプラハ生まれ。60年、ローマ・オリンピックに出場し、体操女子団体で銀メダルを獲得し、個人総合では8位となる。64年の東京オリンピックでは、個人総合、跳馬、平均台で金メダル、団体で銀メダルを獲得。華麗な演技から、「東京の恋人」「五輪の名花」と呼ばれ、世界中を魅了した。68年のメキシコ・オリンピックでは、体操女子個人総合2連覇を果たし、跳馬、段違い平行棒、床運動でも優勝。団体は銀メダルに輝く。同年、母国の民主化運動である「プラハの春」を支持し、「二千語宣言」に署名したため迫害を受け、職を奪われるなど長年にわたって不遇の日々を送る。89年、東欧民主化による「ビロード革命」で名誉を回復し、大統領補佐官やチェコ・オリンピック委員会会長などを務める。95~2001年まで、国際オリンピック委員会(IOC)委員。10年には、日本とチェコの友好促進への貢献から、旭日中綬章を受章した。15年4月に膵臓がんが見つかり、10時間に及ぶ手術を受けたのち化学療法を続けていたが、16年6月には肝臓にもがんが見つかり、余命宣告を受けていた。同年8月30日死去。74歳。