マイヤ・プリセツカヤ。バレエダンサー。
1925年11月20日、旧ソビエト連邦のモスクワ生まれ。無声映画女優の母や、バレエダンサーのおじ、おばなど、芸術家を多く輩出したユダヤ系一家に生まれ、8歳のときにボリショイ・バレエ学校に入る。38年、スターリン政権下の大粛清で父が政治犯の嫌疑をかけられて処刑され、母も旧ソ連カザフ共和国の収容所に送られたため、おじとおばのもとで育てられた。43年、ボリショイ劇場バレエ団(ボリショイ・バレエ団)にソリストとして入団。高い技術と表現力、美貌により頭角を現し、47年に初めて主役を務めた「白鳥の湖」で世界的な称賛を浴びた。58年、作曲家のロディオン・シチェドリンと結婚。60年に、名バレリーナだったガリーナ・ウラノワが引退すると、ボリショイ・バレエ団のプリマバレリーナに昇格。「カルメン」や「眠れる森の美女」などで名声を不動のものとした。中でも、40年代から踊り始めた「瀕死の白鳥」はプリセツカヤの代名詞的な作品と言われる。夫の作曲とプリセツカヤ自身の振り付けによる、「アンナ・カレーニナ」などの文芸作品のバレエ化にも取り組んだ。また、70年代以降はローラン・プティやモーリス・ベジャールなど、西側の振付家からも振り付けを提供された。一方で新作が反体制的とみなされて、旧ソ連国家保安委員会(KGB)の監視下に置かれ、海外公演が禁じられた時期もあった。65歳でボリショイ・バレエ団を引退した後も、80歳代まで各国で舞台に立ち続け、「20世紀最高のバレリーナ」とも評された。旧ソ連のレーニン賞(64年)や、フランスのレジオン・ド・ヌール勲章(86年)など受賞多数。訪日回数も多く、日本バレエ界の発展に貢献したとして11年に旭日中綬章を受章した。著書に自伝「闘う白鳥」(1996年、文藝春秋)がある。2015年5月2日、滞在先のドイツで心臓発作のため死去。89歳。