ザハ・ハディド。建築家。
1950年10月31日、イラクのバグダッド生まれ。イギリスに渡って建築を学び、77年に英国建築協会付属建築学校(AAスクール)を卒業。80年、ロンドンに「ザハ・ハディド・アーキテクツ」を設立し、83年に香港の高級レジャークラブ「ザ・ピーク」の国際コンペティションで1位となったことから、世界的に注目を集める。幾何学的な曲線、流動的でダイナミックな設計が特徴だが、前衛的で実現が難しいため「アンビルドの女王」「ペーパーアーキテクト」とも評された。2004年には、建築界で最も権威があり「建築界のノーベル賞」とも言われる「プリツカー賞」を女性として初めて受賞。09年には高松宮殿下記念世界文化賞を受賞。12年に開催されたロンドン・オリンピックでは、競泳会場「アクアティクス・センター」の設計を手がけた。同年、20年東京オリンピック・パラリンピックのメイン会場となる新国立競技場のデザインコンペで最優秀賞を獲得。しかし、15年7月、総工費が予定より大幅に膨らんだことを理由に設計は白紙撤回された。その後、新たに採用された隈研吾らのデザインが自らのデザインに酷似しているとして、事業主体の日本スポーツ振興センター(JSC)に対して著作権を巡る交渉を求めていた。16年2月、王立英国建築家協会のロイヤルゴールドメダルを受賞。主な作品には、「ヴィトラ社工場・消防ステーション」(1993年、ドイツ)、「広州大劇院」(2010年、中国)、「国立21世紀美術館(MAXXI)」(10年、イタリア)などがある。また、建築物だけでなく、家具や靴のデザインも手がけるなど、幅広く活躍した。16年3月下旬に気管支炎にかかって治療中だったが、同月31日、心臓発作のため死去。65歳。