ヘルムート・シュミット。政治家、エコノミスト。
1918年12月23日、ドイツ北部ハンブルク生まれ。高校卒業後、第二次世界大戦の東部戦線でソ連との戦闘に従軍する。戦後、ハンブルク大学で経済学を学び、46年に社会民主党(SPD)に入党。53年に旧西ドイツの連邦議会議員に初当選し、68年に同党副党首に就任。69~74年のブラント政権では、国防相、財務相を歴任する。74年、ブラント首相の辞任を受けて、後継首相に就任。75年に、フランスのジスカールデスタン大統領(当時)とともに主要国首脳会議(サミット)を提唱した。また、同大統領と緊密な関係を築いて、欧州通貨制度(EMS)を導入し、欧州単一通貨ユーロ実現への道を開いた。テロに対しては毅然とした態度で臨み、77年のルフトハンザ機ハイジャック事件では特殊部隊を強行突入させて、人質全員の解放に成功した。82年、不信任決議の可決によって退陣に追い込まれる。その後、高級週刊紙「ディ・ツァイト」の共同発行人に就任。86年に政界を引退するが、政治や経済について積極的な言論活動を続けた。卓越した指導力への評価は高く、ドイツの世論調査では歴代首相の中でもトップクラスの人気を誇る。著書に「シュミット外交回想録(上・下)」(89年、岩波書店)などがある。2015年11月10日死去。96歳。