モハメド・アリ。元プロボクサー。
1942年1月17日、アメリカのケンタッキー州生まれ。旧名はカシアス・マーセラス・クレイ・ジュニア(カシアス・クレイ)。12歳のときにボクシングを始め、18歳で出場した60年のローマ・オリンピック、ライトヘビー級で金メダルを獲得。帰国後に人種差別を受けたことに怒り、メダルを川へ投げ捨てたといわれる。同年、プロに転向。64年にソニー・リストンを破り、世界ヘビー級王者になった。その後、イスラム教に改宗したことを公表し、モハメド・アリ(ムハマド・アリ)に改名。67年までに9回の王座防衛に成功する。同年、ベトナム戦争への徴兵拒否を理由にタイトルをはく奪され、禁錮5年の有罪判決を受けたが、最高裁まで争い、71年に無罪を勝ち取った。70年、リングに復帰。74年に圧倒的不利との下馬評を覆して当時王者だったジョージ・フォアマンを破り、再び王座に返り咲く。この一戦は、試合が行われたザイール(現コンゴ)の地名にちなんで「キンシャサの奇跡」と呼ばれる。78年にレオン・スピンクスに敗れて王座から陥落するが、同年に奪還した。81年に引退。プロ通算成績は61戦56勝5敗。ヘビー級ながら、自ら「チョウのように舞い、ハチのように刺す」と表現する、華麗なスタイルが持ち味で、史上最高のボクサーと評する声は少なくない。76年に来日して、プロレスラーのアントニオ猪木と異種格闘技戦を行ったことも話題になった。引退後はパーキンソン病を発症しながらも社会活動を続け、96年のアトランタ・オリンピック開会式では聖火の最終走者を務めた。2005年、アメリカで民間人に授与される最高勲章大統領自由勲章受章。16年6月3日、敗血症ショックのため死去。74歳。