中小企業向け融資に特化しミドルリスクの貸出市場を開拓することを狙いとして2004年4月に新規開業した銀行。10年9月には金融庁によって経営破綻と認定され、日本で初めてのペイオフが発動された。日本振興銀行は、日本銀行出身の経営コンサルタントで金融庁顧問を務めた木村剛の呼びかけに応じた東京青年会議所の有志によって設立されたが、05年1月には木村自身が社長(同年6月には会長)となって銀行経営を支配した。同行のビジネスモデルは、当初の中小企業向け小口融資中心から次第に変質して、大手商工ローンからの債権買い取りや木村会長が主催する中小企業振興ネットワーク加盟企業向け大口融資などが中心となり、それらが不良債権化したことが破綻の主たる原因となった。なお、取り扱っていた預金は定期預金のみ(当座預金や普通預金など決済性の預金を取り扱っていなかった)という同行の特異なビジネスモデルを、同行が日本で初めてのペイオフ発動対象とされた背景として指摘する向きも少なくない。