インド産業政策の変遷の典型例といえる産業。政府は1948年、地場企業7社を重点企業に指定、保護主義的な自動車産業政策を導入した。80年代から緩やかながら自由化を開始、新規参入を認め、82年にスズキとの合弁によるマルチ・ウドヨグが誕生した。本格的な自由化政策は、91年の新経済政策以降。93年に規制緩和が講じられ、産業ライセンス制度(製造や立地に国からのライセンス取得を義務づける)が廃止、外資出資比率も51%に引き上げられた。ただし、国産化をめざす自動車産業政策が97年12月に導入され、政府が個別企業と取り交わす覚書により、部品国産化比率の段階的引き上げが義務づけられていた。しかし、2001年9月に最低出資額規制、現地調達率規制が廃止され、資本出資比率100%も自動認可されることになった。インドのおもな自動車メーカーはマルチ・ウドヨグ、韓国系の現代自動車インディア、地元財閥資本のタタ自動車などだが、06年以降、BMW、フォルクスワーゲンが乗用車生産に乗り出し、生産メーカーは15社になる。デリー郊外、チェンナイ、ムンバイ、バンガロール近郊などで産業集積が始まっている。世界の自動車メーカーのインド事業拡大には、世界規模のサプライチェーン・マネジメントに基づく生産拠点強化が背景にある。一方、経済の発展から国内市場も着実に成長している。