コメの生産過剰の解消を主な目的として、コメの作付面積を削減する措置。第二次世界大戦後の食糧増産政策により、主食であるコメの生産は拡大したが、高度経済成長の中での国民所得の増大に伴う食の多様化で生じたコメ消費の低迷も一因となり、1960年代後半からコメは供給過剰基調となった。コメの生産量が史上最高を記録した69年にコメの過剰問題は財政的に容認できない水準にまで達した。当時、食糧管理法の下、コメは原則的に政府の買い上げであったため、米価の売買逆ざやや過剰米の在庫管理に膨大な国家予算が振り分けられていたからである。減反はこうした食管赤字の削減を目的に70年に導入された制度である。以降、78年に単なるコメの生産抑制からコメ以外の作物を含めた水田農業確立対策へと政策目的が拡張されたこともあり、食生活の高度化・多様化に伴うコメ消費量の継続的減退の中、減反の実績面積は増加していった。農業の生産現場に閉塞(へいそく)感を与えるとともに耕作放棄地を増大させるなど、減反政策は食料供給力の低下の一因になったという批判がある。