選挙公約のこと。しかし公約という言葉があまりにも信用をなくしたために、このイギリスの政治用語が持ち出されることになった。1832年、保守党の指導者ロバート・ピールが中流階級に選挙権を拡大した1830年改革法後の状況に対する次の保守党政権の構想を発表したタムスワース・マニフェストがイギリスで最初の用語例といわれている。ピールが同時に新有権者の登録(当時は有権者は自ら投票資格者として登録を申請しなければならなかった)を推進するための組織を作ったことから、マニフェストとともに近代的な政党組織が始まったともいわれている。日本では2003年春の統一地方選挙で北川正恭前三重県知事が知事選立候補者にマニフェストを作成し発表することを提唱したことから、にわかにこの言葉が使われるようになった。政権を獲得した時の政策目標を財源や実施の手順・時期などを明示することから政権公約ともよばれる。他方で中央の政界では、小泉純一郎首相が03年9月の総裁公選での政権公約を発表することを約束し、再選されれば同じ公約を総選挙でも掲げるという意向を示し、こうしてマニフェストが総裁と党を二重に縛ることとなった。それは党内の抵抗勢力からは忠誠審査の「踏み絵」として猛烈な反対を受けた。また、民主党も菅直人代表(当時)が同年11月の総選挙を「政策選択の選挙」と位置づけ、小泉自民対菅民主の両党間のマニフェスト対決の様相を呈した。05年9月の総選挙においても、各党は急きょマニフェストを作成して総選挙に臨んだが、小泉首相の単一争点で戦う戦術が功を奏した。