「国会内閣制」ともよぶ。内閣が議会の信任によって成立し、不信任によって倒される制度。長い歴史的経験を経てイギリスで成立した。名誉革命(1688年)によって主権を握ったイギリス議会は、議会内で多数の支持を得た指導者を首相に選び、首相が大臣を任命して内閣を構成する慣行を成立させた。それとともに国王の大臣任命権は名目化し、立憲君主制が成立する。下院議員選出の選挙権が拡大され、政党が発達するにつれ、議会内の多数派は与党となり、少数派は反対党(野党)となるから、議院内閣制は政党内閣制(party cabinet system)ともよばれる。そこでは、(1)内閣は議会の意向(首相の指名選挙)によって成立する、(2)ほとんどの閣僚は議席をもつ、(3)議会は内閣に対して不信任を決議する権利をもつ、(4)首相は議会に対する解散権を有する。しかし、20世紀のイギリスでは、議会の不信任によって内閣が倒れた例は一度しかない。内閣を倒すには、与党内の反乱の方が有効になった。それとともに議会は次の総選挙を目指して与野党が論戦を交わす権力闘争の場となる。明治憲法下の日本では、もともと内閣は、議会の支持の有無にかかわらず成立する建前になっていたが、短期間(1918年原敬内閣、24年加藤高明内閣、31年犬養毅内閣)ながらも政党内閣制が成立し、戦後の日本国憲法(第5章)に踏襲された。しかし戦後日本の議院内閣制は官僚の優位を維持するように運営されており、この「官僚内閣制」の「国会内閣制」への転換が主張されている。