二院制は、貴族、高級聖職者、上級裁判官等から成る貴族院(上院)、国民を代表する庶民院(下院)を設けたイギリスを原型としているが、身分制は民主主義に反するとして、そのイギリスでも世襲の貴族院議員の数は2001年に大幅に削減され、上院の廃止、あるいは議員の民主的選出への議論が行われている。もう一つの二院制の起源は18世紀末のアメリカ合衆国憲法で、そこでは上院は州の代表、下院は一定の有権者数をもつ各選挙区の代表とされることになった。今日、(英仏を除く)主要な二院制の国は連邦制で、第二院は地方の代表者から成っている。明治憲法下の日本では、皇族や華族を中心に天皇が任命する貴族院と、公選による衆議院の二院制であった。敗戦後、連合国軍総司令部は一院制による新憲法草案をまとめたが、日本側はそれに抵抗し、任命制の一部存続はあきらめ完全公選制の「参議院」を残した。しかし平等・公平な公選制を貫こうとすれば、衆参両院の選挙法は互いによく似たものになり、政権構成の権力においては劣る参院は衆院の「カーボンコピー」とよばれるようになった。フランス革命期の憲法作成に活躍したアベ・ド・シェイエスが言った有名な言葉を引けば、上院は「下院と一致すれば無用であり、一致しなければ有害である」。将来の憲法論議の中で参院が残るとすれば、職能代表と地方代表の議院としてであろう。