いわゆる1955年体制のもと、自由民主党は93年までの38年間、一党で政権を独占してきた。93年の総選挙で敗れて10カ月間は政権を離れたが、それ以後、自・社・さきがけ連立によって政権に復帰した。そして99年1月には自・自連立、8月にはさらに公明党を加えて自・自・公連立となり、2000年4月に自由党が分裂して一部が保守党として政権に残ってからは自・公・保の連立と変わり、この三党連立政権の首相小渕恵三が4月に病に倒れると、森喜朗前自民党幹事長が代わって首相になった。6月の総選挙では、この三党連立を支持するか否かの政権構想が主要な論点となったが、三党は大きく後退しながらも衆議院の過半数を維持するのに成功した。今後、自民党が衆参いずれの議院においても単独で過半数を保つことはほとんど不可能と予想されていたが、他方で、1994年自民党の政権復帰以来の政治過程は、この党のしぶといまでの政権参加と政権運営の能力を示している。一党がこのように長期にわたって優位に立っているのは、先進諸国の中ではきわめて例外的で、むしろ奇怪な現象であり、2000年6月の総選挙では世界のジャーナリズムの関心は自民党の政権維持能力にもっぱら集中した。日本と並んでもう一つ例外とされてきたのはイタリアであるが、この国の一党優位政党のキリスト教民主党はあまりの腐敗ぶりに有権者の反発を買って壊滅し、1994年のプロディ政権にはそれまで万年第一野党であった共産党(左翼民主党と改称)が入閣し、プロディ政権が倒れると左翼民主党党首のダレーマが首相になった。日本の万年野党であった社会党(社民党)が村山富市委員長を首相として自・社・さ連立政権を形成したこととダレーマ政権とを対比する学者もいるが、社民党が村山政権のもとで主要な原則をほとんど捨て、2000年6月総選挙で19議席にまで転落したこと、それに対してイタリアの左翼民主党がダレーマ政権以後も第一野党としての地位を保っているのとは大きな違いである。メキシコは普通、先進諸国の中には数えられていないが、この国で71年にわたって大統領を握ってきた制度的革命党が2000年7月の選挙でついに政権を失った事実も付け加えておく。