1960年代の佐藤栄作政権の下、政治腐敗の事件が続発し、首相は「積年の悪弊」が露見したものと批評し、世論は「構造腐敗」という政治用語を生み出した。それ以後の半世紀近く、積年の悪弊はいよいよ年を重ねているが、政治腐敗がこの数年に目立って全面的に表面化したのは、一方では規制緩和、国際化、民営化、構造改革等々が唱えられる時代となって腐敗議員の策動する余地が大きくなり、他方で不況の深まりとともにいわば企業の死活をかけた贈賄行為があるからである。さらに言えば、政党間の明確な政権交代がなく、そのため前政権の腐敗を暴き出す機会が封じられているからである。構造腐敗の対策として、政治献金、特に公共事業受注の口利きの代わりに金品を受け取るあっせん利得に対する処罰、また処罰対象者に国会議員の私設秘書を追加するだけでなく、自治体首長や地方議員の私設秘書、議員の親族までも含めること、また公共事業の請負企業が契約終了から年1年以内は献金できないようにすること等々が国会に提出されている。しかし一般の世論は、このような施策は「賽(さい)の河原の石積み」に似て、不祥事の発覚の度ごとに議論されても、やがてはあっさりつぶされる無力な対症療法と見ているようである。政府与党の腐敗を野党が追及し、総選挙によって多数を得て政権につき、前政権の腐敗の是正を行うのが政党政治におけるもっとも常識的な腐敗対策であるが、日本ではまさに構造腐敗のために野党の足腰が弱く、野党そのものが汚染していることに根本的な原因がある。